2009年08月24日
▼記憶にあるのはG3だけ…5▼
父親が入院して1年10ヶ月の間、脳外科的手術6回
最後には全く動けない身体になってしまいました
私は毎日山形まで見舞いに行きました
タンの吸引や、体位変換、下の世話までできる様になりました
しかし…2年近くも病院に通っていると、いかに医療ミスが多いのかが分かります
特に父のいた脳外科の病棟は、意識朦朧とした患者さんが多く、例え看護師のミスが原因で患者さんが亡くなったとしても、誰も分からない…そんな所でした
本当は、暴露したい話も数多くあるのですが、やめておきます
「もうこれ以上良くならないから」
という実に冷たい言い方をされ、退院することになりました
退院後は自宅介護が5年間続きました
父親が最期に教えてくれたのは、人はこうして息をひきとるという瞬間を見せてくれた事でした
94年2月18日21時3分
私が32歳の誕生日を迎えた翌日の事でした
その翌月
3月21日…私は結婚しました
3月21日は弘法大師の命日です
そして一年後
偶然とあるスーパーマーケット内にある本屋で出会ってしまったのです
そうガメラに…
〜つづく〜
最後には全く動けない身体になってしまいました
私は毎日山形まで見舞いに行きました
タンの吸引や、体位変換、下の世話までできる様になりました
しかし…2年近くも病院に通っていると、いかに医療ミスが多いのかが分かります
特に父のいた脳外科の病棟は、意識朦朧とした患者さんが多く、例え看護師のミスが原因で患者さんが亡くなったとしても、誰も分からない…そんな所でした
本当は、暴露したい話も数多くあるのですが、やめておきます
「もうこれ以上良くならないから」
という実に冷たい言い方をされ、退院することになりました
退院後は自宅介護が5年間続きました
父親が最期に教えてくれたのは、人はこうして息をひきとるという瞬間を見せてくれた事でした
94年2月18日21時3分
私が32歳の誕生日を迎えた翌日の事でした
その翌月
3月21日…私は結婚しました
3月21日は弘法大師の命日です
そして一年後
偶然とあるスーパーマーケット内にある本屋で出会ってしまったのです
そうガメラに…
〜つづく〜
Posted by ☆ガGラ〃 at 16:04
│怪獣の部屋